「友情」は生命の名曲♪ 12月号

偉大なる 我らの友情 美しく
      広宣流布へと 諸天も護りて
 
仏法の世界は、陰湿な差別を晴れ晴れと打ち破った、明るい、平等な友情の広場である。
釈尊自身が、当時のカースト制度を否定し、分け隔てなく「友よ!」と親しく呼びかけながら、法を説いていった。「われは、万人の友である。万人の仲間である」―――これが、人間・釈尊の大宣言であった。
そもそも、「慈悲」の「慈」は「メッター」という。これは、その本義として、「友情」を意味する言葉である。友を思いやり、友を大切にする心は、仏の心に、まっすぐにつながっているのだ。
日蓮大聖人は、植物の共生を例として、「草木すら友の喜び友の嘆き一つなり」(934頁)と仰せになられた。さらにまた、「たとえ他人であっても、心から語り合えば、命にも替わるほど、大切にしてくれるのである」(1132頁・通解)とも示されている。このご指南通りの「友情の真髄」で結ばれているのが、わが創価学会の同志である。
 
初代・牧口常三郎先生は先頭に勇み立って、人間の中へ飛び込み、仏法を語り弘められた。先生は深く仏縁を結んだ人々のことを、「新しい親友」とも呼ばれていた。その友誼の心を帯びた、信念と大確信の対話は、法難の獄中でも、取調べの刑事、また看守らにまで及んだのである。
戸田城聖先生は、よく青年に言われた。
「大事なのは、人間としての外交である。どんどん人と会って友情を結んでいきなさい。すべて勉強だ。また、それが広宣流布につながるのだ。人の心を動かし、捉えるものは、策でもなければ技術でもない。ただ、誠実と熱意によるのである」
社会の変革といい、平和の創造といっても、一切は、この一対一の友情の対話から始まる。来る日も来る日も、わが同志がその一波また一波を、たゆみなく起こし続けてきたのが、創価の七十六年であった。堅実な拡大ほど、強いものはない。それは、今や、人類史に輝く世界百九十ヶ国・地域の人間共和のスクラムとなった。
現在、私が対談を重ねているハーバード大学のハービー・コックス教授は、開かれた宗教は「友情」を好み、「対話」を好むと洞察されている。そして、SGI(創価学会インタナショナル)が、「友情の対話」の宗教の最先端を進み、従来の「固定化した儀式」の宗教から「普遍的な友情を結ぶ」宗教へと、大転換を進めてきたことを、高く深く評価してくださっているのである。
 
戸田先生は、大河小説『永遠の都』などを通して、同志の友情は、一生涯、絶対に裏切ってはならぬと峻厳に打ち込まれた。
「友人を裏切ってまで利益を望む者は、たとえ欲するものを手に入れたとしても、その物質上の利益は、けっして精神上の喪失を償うには足りない」とは、近代中国の民主革命の旗手・孫文博士の達観であった。
いわんや、悪知識に紛動されて、信仰の最良の同志を裏切る事は、永遠に取り返しのつかない福運の喪失であり、末代まで消えぬ汚名を残してしまうのだ。
法華経の譬喩品第三には、「悪知識を捨てて善友に親近せよ」と厳しく戒められている。
ともあれ、御書に示されているように、濁悪の末法は、家族の間にさえ争いが絶えない「闘諍堅固」の時代である。いずこにも、嫉妬や憎悪や反目の不協和音が渦巻いている。だからこそ、家庭に、地域に、社会に、仲良き友情と和楽の名曲を奏でゆく創価の女性のスクラムが、いやまして光っている。
 
また高齢社会にあって、円熟の「心の長者」であられる多宝の方々の励ましと信頼の対話が、どれほど貴重であることか。
「声仏事を為す」(708頁)である。
人の心を開く第一歩も、さわやかなあいさつの声から始まる。
若き日、戸田先生の会社で奮闘していた時、よく朝食を食べにいった食堂があった。お店に入る時、私は「おはようございます!」と清々しい第一声を心がけた。その時の店の方も、のちに入会された。二十年後に、山形県で嬉しい再会をしたことも懐かしい。当時の私のあいさつを覚えておられて、「希望を運ぶ朝風のようだった」と語って下さった。今、心の垣根を取り払い、生き生きと伸び伸びと、社会に聡明な友情を広げゆくヤング青年部の活躍も、頼もしい限りだ。
 
大自然に生きるライオンには、”友呼び”とも言われる習性があると聞いた。
すなわち、一頭が勇壮に咆哮する時、他のライオンも、それに応じて吼え、大地に響きわたる大合唱になるというのである。
創価学会は、何ものをも恐れぬ仏意仏勅の獅子の陣列である。勇気ある「獅子吼」を轟かせながら、楽しく朗らかに、新しい一日も、そして新しい一年も、栄光と勝利の「わが人生の交遊録」を共々に綴り残していきたいものだ。
 
友情も 不滅の君と 戦わむ
     正義の我らは 世界を舞台に
 
〜大百蓮華 2006.12月号〜