関西副ドクター部長・山崎医学博士ご自身の蘇生の実証

 
「妙とは蘇生の義」を実証
阪神・淡路大震災での懸命の救護のあと、ご自身が過労から「拡張型心筋症」に!
 
当初「1週間くらいの安静で退院だろう」と油断していたのですが、
難病中の難病「拡張型心筋症」との診断。
しかも、心不全がひどい拡張型心筋症なので、主治医からは「余命3ヶ月」との宣告。
この病は心臓移植以外に治療法がなく、しかも当時は臓器移植法が制定される前で、
日本では移植は受けられませんでした。
拡張型心筋症は原因は不明で、心臓の細胞が壊死し、残された部分は繊維になり、
心臓は収縮力も柔軟性もなくなり、ついには心不全になって死亡する難病で、
5年以上生きた人の例が世界的になく、しかも心不全の状態になっているため、
末期の状態でした。
私も医者の端くれですから「医学的には助からない」ということがよくわかりました。
 
最初は絶望感で打ちひしがれましたが、過去担当した各地の「仏法セミナー」で、
重い癌にかかりながら信心で克服していった多くの学会員の姿を語り、
「この信心を根本にすれば、どんな病気も克服できます!」と話していました。
セミナーに来て下さった皆さんに『うそ』をついたことにならないように、と思い直し、
「そうだ。自分が信心で難病を克服する証明をするんだ!」と決め、唱題することにしました。
その決意を手紙にして、師である池田名誉会長にお届けし、懸命に唱題に励みました。
すぐに先生からの激励と指導を頂きました。
また、私の妻や母、家族、地元の学会員の皆さんや、
ドクター部の仲間たちの唱題と激励に本当に守られました。
 
そのうち「そうだ。自分の未来は確定しているわけではない。
病気である未来もあるし、元気になって使命の道を歩む未来もある。
どちらを選ぶかは、自分自身の強い一念で決まるのだ」
と確信するようになりました。
それからは、心から闘病生活を楽しめるようになりました。
主治医も懸命に治療法を考えてくれました。
そのかいあって、まもなく「奇跡」が起こり、心臓が次第に蘇生してきたのです。
腫れ上がって止まりかけていた心臓が普通の大きさに戻り、
力強く規則正しく鼓動するようになりました。
そして死んでいるはずの「3ヵ月」後に元気に退院できました。
まさに「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがえる義なり」(御書947㌻)とある通りでした。
宇宙と生命の法・妙法は、一切を蘇らせる大法である、との仰せです。
拡張型心筋症で助かったのは、おそらく私が日本で初めての例だと思っています。
 
振り返って考えてみれば、セミナーで「絶対克服できます!」と言っていた言葉が、
全部自分に返ってきて守ってくれたのだと、感謝しています。
難病を克服して11年になりますが、今も元気で仕事に活動にと頑張っています。
「不治の病」に苦しんでいる方も、決して諦めてはなりません。
諦めた途端に、「死魔」が忍び寄ってきます。

今の医学でわかることは、本当に「ごく一部」なのだということを心に刻んでおいて下さい。
患者さんが3ヵ月後にどうなるかは、天気予報と同じで、予測不可能です。
主治医の誠意は信じていただきたいものですが、
自分の未来がどうなるかはご自身で決められるのが一番です。
 
日蓮大聖人は病の夫をもつ、妙心尼に対してこう励まされています。
「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には
病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」
(御書1480㌻)
病気になられたからこそ、信心が強くなり、唱題に励んで宿命転換できる最高のチャンスを得た
と喜んで下さい、との趣意です。
もう一重深く、仏法には「願兼於業」―――「願い業を兼ぬ」という法門があります。
つまり「私は大病を克服する事により、仏法の力を証明するという使命を頂いたのだ」
と確信する、「地涌の菩薩」としての生き方
です。
 
法華経の法師品第10に、
「薬王よ。当に知るべし、是の人は自ら清浄の業報を捨てて・・・衆生を愍(あわれ)むが故に、
 悪世に生まれて、広く此の経を演(の)ぶ」(法華経357㌻)とあります。
この箇所について妙楽大師は、法華文句記巻8の3で「願兼於業(願い業を兼ぬ)」と釈しました。
この「願兼於業」の生き方を、池田名誉会長は「宿命を使命に変える」と言われています。
使命感の立場から、自分の苦しんでいる境涯を眺め直すと、180度、世界が変わり、
「なんと自分は幸せであるか!」ということが初めて分かってきます。
これさえ分かればどんなことも恐くなくなり、楽しんでいくことができるようになります。
 (略)
ともあれ、これからも病に苦しむ人々を医学の力で救い、仏法の智慧で救っていく。
そして、一人の「生命の尊厳」の仏性の太陽を昇らせる―――
ドクター部の使命を懸命に果たしてまいります。
 
聖教新聞 2006.12.10〜