【四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)】文永9年 51歳御作

 
多宝塔中(たほうたっちゅう)にして二仏並座(にぶつびょうざ)の時・上行菩薩に譲り給いし題目の五字を日蓮粗(ほぼ)ひろめ申すなり、此れ即ち上行菩薩の御使いか、貴辺(きへん)又(また)日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ荳(あに)流通(るつう)にあらずや、法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やす(休)みぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下(じょうげ)万人(万人)乃至(ないし)日本国の一切衆生の口にうたわれ給へ、あしき名さへ流す況(いわん)やよき名をや何(いか)に況や法華経ゆへの名をや
(1117頁17行目〜1118頁3行目)
 
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=通解=

多宝の塔の中で、釈迦・多宝の二仏が並び座った時、上行菩薩に譲られた題目の五字を、日蓮はほぼ弘めたのである。このことによって日蓮は、上行菩薩の御使いといえるのではないだろうか。あなたもまた日蓮に従い、法華経の行者として人々に仏法を語られている。これはまさに、法華経流通の義ではないか。法華経の信心を貫き通しなさい。火打ち石で火をつけるのに、途中で休んでしまえば火は得られない。強盛な大信力を出して、法華経四条金吾四条金吾と、鎌倉中の上下万人をはじめとして日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい。人は、悪名でさえ流すものだ。ましてや善き名を流すのは当然である。ましてや、法華経のゆえの名においては言うまでもない。
 
12月度 女子部草の根大教学運動 研鑚御書