ご金言
いかに日蓮いのり申すとも不信ならば ぬ(濡)れたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、 はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし 【通解】 いかに日蓮が祈っても、あなた自身が不信ならば、ぬれている火口に火を打ちかけるようなものである。 勇…
『2007年・3月度座談会御書』 一人(いちにん)の心なれども二つの心あれば其の心たが(違)いて成(じょう)ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人(ひとびと)は多人(たにん)なれども体同異心(たいどういしん)なれば諸事(しょじ)…
『2007年・新年勤行会の拝読御書』 今正月の始に法華経を供養しまいらせんと・をぼしめす御心は・木より花のさき・池より蓮のつぼみ・雪山のせんだんのひらけ・月の始めて出るなるべし、今日本国の法華経をかたきとして わざわいを千里の外よりまねきよせぬ…
多宝塔中(たほうたっちゅう)にして二仏並座(にぶつびょうざ)の時・上行菩薩に譲り給いし題目の五字を日蓮粗(ほぼ)ひろめ申すなり、此れ即ち上行菩薩の御使いか、貴辺(きへん)又(また)日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ荳(あに)流通(る…
設(たと)ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして 只法華経の事のみさはぐ(思索)らせ給うべし ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ たとえ、どのような煩わしい苦難があっても、夢の中のこととして、 ただ法華経のことだけを思っていきなさ…
南無妙法蓮華経は師子吼の如し いかなる病さはりをなすべきや (1124頁)
我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけん つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし (234㌻)
行学(ぎょうがく)の二道(にどう)をはげみ候(そうろう)べし、 行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、 我(われ)もいたし人(ひと)をも教化(きょうけ)候(そうら)へ (1361㌻)
今日蓮等の類い 聖霊を訪う時法華経を読誦し 南無妙法蓮華経と唱え奉る時・ 題目の 光無間に至りて即身成仏せしむ (712㌻) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【今、日蓮と、その弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、 法華経を読誦し、南無…
一文一句なりともかた(談)らせ給うべし (御書1361㌻)
南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり (788㌻) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 唱題は生命の奥底から歓喜を呼び起こす、と仰せの一節
賢者は喜び愚者は退く (御書1091㌻)
年は・わか(若)うなり福はかさなり (御書1135㌻)
天晴れぬれば地明(あきら)かなり 法華を識(し)る者は世法を得可(うべ)きか (御書254㌻) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・天が晴れれば、地は明るくなる。 法華経を識る者は世法を明らかに知ることができるであろうと仰せである。 空に太陽が出て…
御義口伝に云く獅子吼とは仏の説なり 説法とは法華別しては南無妙法蓮華経なり、 師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・ 吼とは師弟共に唱うる所の音声なり (748㌻) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…
譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、 只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり 是れを磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、 深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし 何様にしてか磨くべき 只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを 是をみがくとはいう…