【異体同心事】建治元年ごろ

 
『2007年・3月度座談会御書』
 
一人(いちにん)の心なれども二つの心あれば其の心たが(違)いて成(じょう)ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人(ひとびと)は多人(たにん)なれども体同異心(たいどういしん)なれば諸事(しょじ)成ぜん事かたし、日蓮が一類(いちるい)は異体同心(いたいどうしん)なれば人人すくなく候らへども大事(だいじ)を成じて・一定(いちじょう) 法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善(いちぜん)にかつ事なし
(1463頁4行目〜6行目)
 
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=通解=
一人の心でも二つの心があれば、その心と心とが食い違って、何事も成就する事はない。
100人、1000人であっても、一つの心であれば、必ず物事を成就するのである。
日本国の人々は、多人数ではあっても体同異心であるから、何事も成就することは難しい。
日蓮の一門は異体同心であるから、人数は少ないけれども大事を成就して、
必ず法華経は広まるであろうと思うのである。
悪は多くても一善に勝つことはないのである。
 
勝利は「団結の祈り」から!
 
悪の勢力は、強大に見えても、根底が利害であり、強制であり、エゴであるゆえに、
広宣流布という極善で一致団結した善の勢力には絶対叶わないのです。
では、異体同心になるためには、どうすればいいのでしょう。
そのためには、まず各人が、「師匠とともに」という師弟不二誓願に、一人立つことです。
その上で、互いに同志として励まし合い、讃え合い、尊敬しあうことです。
そして皆が心を一つにして強情に祈りきっていくことです。
 
池田名誉会長は語っています。
「異体同心の信心で、皆が心を一つにして、一緒になって祈っていくことである。
 皆で、破邪顕正の勝利を祈ることが、獅子王の題目となる。
 皆で祈れば、広宣流布の歯車は、勢いを増して回転していく。
 祈りこそが、『最高の戦力』であり、『無限の闘争の力』なのである。」

 
〜大百蓮華 2007.3月号〜