人間世紀の光「前進・勝利の年への出発」2

 
大文豪トルストイが書き留めた先哲の一節に、こうある。
「愚人は賢者の傍らに一生を送り乍ら、少しも真理を知り得ない」
戸田先生の会長推戴の署名には、三千人の弟子の名前が記されている。しかい、そこには「牧口門下」を鼻にかけた、戦前からの傲慢な幹部の名前はなかった。署名を拒否したのだ。それは、師弟の道への裏切りであった。創価学会が、「仏意仏勅の広宣流布の教団」として大きく本迹顕本した時、信心なき者どもが、牧口先生の唯一無二の後継者であられる戸田先生を、「広宣流布」の師匠と仰ぐことができなかった。そして多くの弟子が、ふるいにかけられるように、無残に脱落していったのである。
日蓮が弟子の中に、異体異心の者之有れば 城者として城を破るが如し」(御書1337頁)
醜き慢心と嫉妬の輩は、あまりにも尊く美しい団結の城にはいられないのだ。「傲慢は地獄へ」とは、ドイツの大詩人ヘルダーリンの詩句である。
「師弟相違せば なに事も成すべからず」(御書900頁)
ゆえに、師匠が明確に定まり、師弟が戦う「心」と「祈り」と「行動」を一致させてこそ、広宣流布の大願は成就する。そこにこそ、永遠の勝利と幸福の大道である成仏の血脈が、滾々と流れ通うのだ。戦う作家ロマン・ロランは謳った。「強いものは強いものと進むのだ」
これが、創価の師弟である。
 
先日、お会いした、フィリピンの気高き「教育の母」オリビア・デレオン学長(国立リサール・システム大学)は、創価の青年たちに、期待を込めて語っておられた。「どんな裕福であっても、どんなに権力を持っていても、世俗的・物質的な財産というものは、いずれ失われてしまいます」「人生は、その人がいかに生きたかによってこそ、最善のものとなっていくのです」と。最善の平和と正義の道を、誇りも高く歩みゆく、創価の青年部へ、世界の知性の信頼は、一段と大きく広がっている。「青年・躍進の年」のこの一年、わが男女青年部は、実に多くの新たな若き「地涌の菩薩」を糾合し、壮大な拡大と成長を飾ってくれた。
はや、明年の「前進・勝利の年」へ、勢いよく快進撃が始まっている。思えば、私が第三代会長に就任した時も、「躍進」から「勝利」へという、旭日の生命力のリズムで、青年部が全学会を牽引してくれた。今、原田会長、正木理事長の誕生に呼応して、新しい人材が、法華経の会座の如く、続々と雲集していることが、私は本当に嬉しい。
イギリスの著明な作家オーウェルは達観していた。「何事も静止することはないのだ。代々受け継いできたものをふやすか失うか、より大きくなるか小さくなるか、前進するか後退するか、しかない」まったくその通りだ。
「前進」こそが、真の「後継者」たる証である。そして、その試金石こそ、「勝利」の二字なのである。「勝利に向かって前進するか、敗北の苦渋を味わうかのどちらかだ」とは、ガーナ建国の父・エンクルマ初代大統領の警句であった。(続)
 
聖教新聞 2006.12.20(抜粋)〜