『野球一筋』


藤井康雄
兵庫神戸市・オリックス二軍打撃コーチ


3年目前の秋、球団社長からスカウト部門への移動を告げられた。
現役16年、バッティングコーチ4年――着続けたユニホームを脱いだ。
その夜から3日間、眠ることができなかった。

選手時代にリーグ戦を突破。
選手会長として勝ち取った日本一。
ベストナイン選出。
ミスターブルーウェーブ」とも呼ばれた・・・。
今にして思えば、過去の栄光だ。
だが、「なんでや!」。
表舞台から降ろされた悔しさと寂しさをぬぐうことができなかった。

この球団が好きだ。
その一心でスカウト業に取り組んだ。
パソコンでの報告書作成。
ホテルの予約。
領収書を添付し出張清算
満員電車での出社・・・すべて初めてだった。
居酒屋での打合わせで、から揚げにレモンを絞ると「こら、レモンを嫌いな人もおるんやぞ。もうお前中心じゃないんや」と上司がピシャリ。
45歳で社会人一年生はつらかった。
だからこそ、もう一度、信心根本に頑張ろう、と腹を決めた。

仕事は、社会人と大学・高校生300人のリストに沿い、一人一人を見て回り、ドラフトに向けて有望選手を絞り込んでいく作業。
そこでもつまずいた。
自分の一軍経験が邪魔をして、どの選手がプロで通用するかわからないのだ。
悩み、祈りながら、座談会、同志の家庭訪問・・・。
信心の一軍の先輩と触れ合う中で、気づかされたことがあった。
それは、人を思いやる心の薄さだ。
打撃コーチで結果が出せなかった理由もそこだった。
一人一人、体の使い方が違うのに、自分の打ち方、技術を押し付け、それでよしとしていたのだ。
慢心だった。
そこに気付いた時、"再びコーチとしてユニホームを着たい!"。
目標が祈りになった。
とともに、池田先生の偉大さが感じられてならない。
どれほどの思いで青年を育てているのだろうと――。

以来、仕事がスムーズに進みだした。
打撃理論を懸命に勉強し始めたのもその頃だ。
実は、スカウトの1年間、テレビ局の密着取材を受けていた。
できた番組が局の番組大賞を受賞。
更に『藤井康雄の突破力』という本まで出版してくれた。
努力が報われたようでうれしかった。

昨年秋のこと。
突然、球団から「現場に戻れ!」と。
再び二軍の打撃コーチへの就任を告げられた。
驚きと喜びに包まれ、苦労した日々が、ありがたくてならなくなった。
燃え上がる闘志を胸に、背番号「72」のユニホームに腕を通した時の気持ちは忘れない。
青年を伸ばしてみせる。
勝たせてみせる。
池田先生のように。


大白蓮華2009.1月号 あしおと〜


****************


信心に無駄なし。
自分のこの二年は無駄じゃない。
無駄にはしない。
勝ってみせる、勝利の年。
(きょん)