朗らかに青春の「勝利」と「幸福」の゛道″を

女性論も著した歴史家ミシュレは断言した。

「確信の中に基礎を持ち、意思の中に基盤を持っていないものは、
 何一つ生きないし、働かないし、持続しない」

まったくその通りだ。

弱々しい意思と確信で、どうして自身の偉大な革命を完成させる事ができようか。

つまり、幸福になれようか。

勝利する事ができようか。

だからこそ、女子部の皆さんは、日々の生活の中で、社会の中で、学会活動の中で、
自ら祈り戦いながら、具体的な体験を一つ一つ積んでいってほしいのだ。

どんなことでもいい、「信心はすごいな」という実感と感謝を知ることだ。

それが何ものにも崩れぬ確信と信念の幸福の大地に変わっていくからである。

多くの若い女性たちは、自分の「性格」や「自信の無さ」などに
むやみに悩む場合が少なくない。

その自分が最も自分らしく輝いていける、
偉大な「人間革命」の大道(だいどう)を教えたのが、日蓮仏法である。

流されやすく、弱い自分の境涯を決然と乗り越え、強く、生きがいのある自分になるのだ。

そして、決して悩みの風雨に負けないで、
堅固な、大切な自分自身の一生の土台を築きゆくことだ。

この尊き青春の羅針盤こそ「教学」にほかならない。

「教学を学び抜いていくことである」と恩師は叫んだ。

もしも教学がなければ、正邪善悪(せいじゃぜんあく)が見えない。

最高の人生の大道、正義の師弟の道がわからない。

それでは何が幸福かわからない。

結局、幸福になれない。

正しい仏法の眼(まなこ)を磨く修行が教学である。

だからこそ、戸田先生は、慈父の如く「女子部は教学で立て!」と
繰り返し繰り返し指導していかれた。

今、若き女子部の貴女たちは、「師弟共戦で進もう!」と、青春を飾り、
勝利の人生を築こうと、戦っておられる。

それはそれは真剣な姿がまばゆいばかりだ。

その清らかな心を、三世十方(さんぜじっぽう)の仏菩薩が賞讃し、
貴女たちを守護しないわけがない。

ゆえに「勝利」と「幸福」の道は、貴女たちの足もとにあるのだ。

今日一日歩みゆく、その足下(そっか)にあるのだ。

創価の花の青春を、勇気も美しく、忍耐も輝かせながら生き抜くことだ。

人生の花盛りの青春を、力強く朗らかに、そして誇り高く、まっすぐに歩み抜くことだ。



随筆 人間世紀の光112(抜粋)

聖教新聞 2006.5.12〜